ある背景があっての「その言葉」であっても、
それが便利な言葉だと、
言葉だけが ひとり歩きしていく事が 往々にしてあります。
「芝居のウソ」という言葉がありました。
例えば、実際の生活では 喋りたい相手の方に向いて喋るところを、舞台 という 特殊空間においては、相手役へ向けた言葉を客席の方を向いて喋る事がある、といった具合です。
当時、その便利な言葉を得た面々達の中には、深い理解もせずに、何かにつけ その言葉を利用し、予定調和的に動いてしまう不自然な(その行動の動機ゼロ)部分にまで その言葉を用いる人も出てきたり。
それは のちに「芝居のウソ」を教えてくれた人から指摘あり、不自然さは解消されましたが。
「人は変わらない」という言葉も、そういう類なのではないかなと思いました。
ある条件設定の上で活きてくる言葉。
言葉だけを切り取って捉えるならば、実際には変わる事も沢山あります。
だから、なににもかににも この言葉によって早々に諦めるものではなく、その ある条件下においてのみ 初めて機能させればいいだけで、ギリギリまで自分の環境というものを諦めないでいいのだろうと思います。
人はエネルギー体なのだなぁと つくづく思います。
そういえば生物学でも習いますね。でも、体のエネルギーだけでなく、精神面においても、そう思います。
エネルギーを奪う言葉と
エネルギーを与える言葉。
やがて無意識下に沈み込んでいく、与えられた言葉たちは、沈んだ後も自分の奥で影響を与え続ける。
そこに同じ状況が用意されていても、その人の内側の層の厚みが 次の一歩に影響していく。
自分は、なにを選び、人に与えていくのか。
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