チャネリングの視界
アッチの方の感覚がよく分かっている方に、私は既に、
「チャネリングもしてますよ。メッセージも受け取ってます。」
と教えていただきました。
まぁ、、時々そんな感じはしていたので、確定してもらった、という感じですが。
「そんな感じ」というのは、
おそらく、
なにかの途中で、「!、そう言えばアレは・・、」と、突然目の前の現実から思考が離れ思考の世界を漂い始める時の感じ、とか、
なにかのキッカケで、
もやっとした理解で終わっていたものの所に思考が飛び、
映像として、ババババッと新しい切り口の視界や認識が浮かび、
突然理解が進み、結論が現れ、
映像の理解の後で、紐解くようにゆっくりと言葉に置き換えていくような時とか。
その感じと同じで、
文章を書いている時なんかは、
おっきな塊のイメージで、大体こんなこと書いて あんなこと書いて、と頭の中で構成を持っているのを、少しずつ文章に仕上げていく作業、
その最中は、チャネリングに感覚が似ているような感じ。
自分の中を漂い、今食べたいものはなにかなと お腹と口の具合に意識を持っていって、探り、答えにたどり着く、これもチャネリング感覚に似ている気がします。
ーーーーー
チャネリングはチャンネル合わせ、意識のチューニング合わせって言われるけど、
石や 花で 試す方法とかあって、試したことあったけど、それはかえって わかんねー、って感じでした。
それよりも、私が おそらく今までやってきてて、感覚として つかみやすいかも、という方法は、
昨夜 記事を読んでいて ふと気づきました。
↓↓
カメラワークってのがあって、
自分の体の中に自分の意識が入ってて、
その時は、自分の体からのカメラワーク(視界)で、自分の体の中の感情の汲み取り、という見解。
過去のことを思い出している時に、
「そうそう あの時、あれ持ったまま あの扉をこうして、歩いていったら 部屋の家具がこんな風だったから、左に居たあの子がこっちを見て・・」とか思い出してる最中に、
"ちょうど その考え事をしている自分が そういえば回想と同じ部屋の違う場所に居るわ"、と気づいて、
それまで 過去の自分からのカメラワーク(視界)だったのが、グワッと移動して、
今の自分の位置のカメラワークに瞬間的に切り替わる、という時があります。
コレ。
これなのかな、と思います。
過去の自分にチャネリングしてた状態なのだと思います。
過去の視界の中で、過去の気持ちを感じていて、行動している。
ーーーーー
映像や感覚そのものの塊が 向こうから突然降りてきて、
その塊を紐解くようにゆっくり整然とさせていくこともチャネリングだと思うけど、
それは 向こう都合で 降ろしてくれた感じで、
思うに・・、
チャネリングしたい対象物がある時は、
こちらから意識を合わせていって拾わなきゃいけなくて、
その方法の感覚は、
その対象物の方へ意識を飛ばして、その器の中に入り込んで、その視界を得て(想像して)、五感をそのものに同化させて感じて、そして気持ちや思考をを感じ取って、という、
対象物の中身の意識そのものに なりきる(感じきる)、という状態に自分を持っていくことなのかなー?と思いました。
「チャネリングもしてますよ。メッセージも受け取ってます。」
と教えていただきました。
まぁ、、時々そんな感じはしていたので、確定してもらった、という感じですが。
「そんな感じ」というのは、
おそらく、
なにかの途中で、「!、そう言えばアレは・・、」と、突然目の前の現実から思考が離れ思考の世界を漂い始める時の感じ、とか、
なにかのキッカケで、
もやっとした理解で終わっていたものの所に思考が飛び、
映像として、ババババッと新しい切り口の視界や認識が浮かび、
突然理解が進み、結論が現れ、
映像の理解の後で、紐解くようにゆっくりと言葉に置き換えていくような時とか。
その感じと同じで、
文章を書いている時なんかは、
おっきな塊のイメージで、大体こんなこと書いて あんなこと書いて、と頭の中で構成を持っているのを、少しずつ文章に仕上げていく作業、
その最中は、チャネリングに感覚が似ているような感じ。
自分の中を漂い、今食べたいものはなにかなと お腹と口の具合に意識を持っていって、探り、答えにたどり着く、これもチャネリング感覚に似ている気がします。
ーーーーー
チャネリングはチャンネル合わせ、意識のチューニング合わせって言われるけど、
石や 花で 試す方法とかあって、試したことあったけど、それはかえって わかんねー、って感じでした。
それよりも、私が おそらく今までやってきてて、感覚として つかみやすいかも、という方法は、
昨夜 記事を読んでいて ふと気づきました。
↓↓
カメラワークってのがあって、
自分の体の中に自分の意識が入ってて、
その時は、自分の体からのカメラワーク(視界)で、自分の体の中の感情の汲み取り、という見解。
過去のことを思い出している時に、
「そうそう あの時、あれ持ったまま あの扉をこうして、歩いていったら 部屋の家具がこんな風だったから、左に居たあの子がこっちを見て・・」とか思い出してる最中に、
"ちょうど その考え事をしている自分が そういえば回想と同じ部屋の違う場所に居るわ"、と気づいて、
それまで 過去の自分からのカメラワーク(視界)だったのが、グワッと移動して、
今の自分の位置のカメラワークに瞬間的に切り替わる、という時があります。
コレ。
これなのかな、と思います。
過去の自分にチャネリングしてた状態なのだと思います。
過去の視界の中で、過去の気持ちを感じていて、行動している。
ーーーーー
映像や感覚そのものの塊が 向こうから突然降りてきて、
その塊を紐解くようにゆっくり整然とさせていくこともチャネリングだと思うけど、
それは 向こう都合で 降ろしてくれた感じで、
思うに・・、
チャネリングしたい対象物がある時は、
こちらから意識を合わせていって拾わなきゃいけなくて、
その方法の感覚は、
その対象物の方へ意識を飛ばして、その器の中に入り込んで、その視界を得て(想像して)、五感をそのものに同化させて感じて、そして気持ちや思考をを感じ取って、という、
対象物の中身の意識そのものに なりきる(感じきる)、という状態に自分を持っていくことなのかなー?と思いました。
PR
Leave a Reply